薬師如来の歴史と功徳|病気平癒の仏様を知る

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はじめまして、清谷寺住職、柴田親志です

薬師如来は、病気平癒や延命長寿のご利益で知られる仏様です。

正式には「薬師瑠璃光如来」と呼ばれ、東方浄瑠璃世界の教主として、私たちの現世での苦しみを救ってくださいます。

この記事では、薬師如来の歴史をインドでの起源から中国、そして日本への伝来まで詳しく解説いたします。また、十二の大願に基づく病気平癒や災難除去などの功徳、薬壺を持つ姿の意味、日光菩薩・月光菩薩との関係、十二神将の役割についても網羅的にご紹介します。

さらに、薬師寺や法隆寺など薬師如来を祀る有名寺院や、実際の参拝方法、真言についても触れています。

この記事を読めば、薬師如来の信仰が現代まで受け継がれてきた理由と、その深い慈悲の教えを理解していただけるはずです。

薬師如来とは

薬師如来は、正式には「薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)」と呼ばれる仏様です。人々の病気や苦しみを癒し、健康と長寿をもたらす仏として、古くから多くの人々に信仰されています。

日本では奈良時代から広く信仰され、現在でも多くの寺院でお祀りされています。阿弥陀如来が来世での救済を約束する仏様であるのに対し、薬師如来は現世での利益を重視し、今この瞬間の苦しみから人々を救うという特徴があります。

薬師如来の名前にある「瑠璃光」とは、深い青色の宝石である瑠璃の輝きを意味し、この光が人々の病や煩悩の闇を照らし出すとされています。左手に薬壺(やっこ)を持つお姿が一般的で、この壺には万病を治す霊薬が入っていると伝えられています。

薬師如来の基本的な教え

薬師如来の教えは、仏教の根本思想である「抜苦与楽(ばっくよらく)」、つまり苦しみを取り除き楽を与えることを具体的に実践する内容となっています。

すべての人の身体的・精神的な病を癒し、貧困や災難からも人々を守るというのが薬師如来の基本的な教えです。仏教では、病気は単なる身体の不調だけでなく、心の迷いや煩悩から生じるものと考えられており、薬師如来はその両方を癒す力を持つとされています。

また、薬師如来は衆生済度(しゅじょうさいど)、つまりすべての生きとし生けるものを救うという誓いを立てられました。この誓いは「十二の大願」として具体化され、人々が健康で安心して生きられる世界を実現することを目指しています。

特徴内容
救済の対象病気、貧困、災難に苦しむすべての人々
救済の時期現世(この世での生きている間)
主な功徳病気平癒、延命長寿、災難除去
象徴する光瑠璃の青い光(煩悩の闇を照らす)

東方浄瑠璃世界の教主

薬師如来は、東方浄瑠璃世界(とうほうじょうるりせかい)という仏国土の教主とされています。仏教の世界観では、私たちが住む娑婆世界の東方に、清らかで美しい浄瑠璃世界が存在するとされています。

この浄瑠璃世界は、地面が瑠璃でできており、その透き通った青い輝きが世界全体を照らしているとされています。この世界には病気も貧困も災難もなく、すべての人々が健康で幸せに暮らしていると説かれています。

阿弥陀如来が西方極楽浄土の教主であるのに対し、薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主として位置づけられます。この二つの仏国土は対をなすものとして考えられており、阿弥陀如来が死後の救済を約束するのに対し、薬師如来は現世での救済を約束するという違いがあります。

日本では、日の昇る東の方角は新しい生命や希望の象徴とされてきました。そのため、東方の浄瑠璃世界を治める薬師如来は、生命力や治癒力の源として特別な意味を持つと考えられています。

薬師如来の周りには、日光菩薩と月光菩薩という二体の菩薩が脇侍として控え、さらに十二神将が守護しています。この構成は、浄瑠璃世界における薬師如来の絶対的な地位と、その慈悲が広く行き渡る様子を表現していると言われています。

十二の大願

薬師如来が修行時代に立てた誓いが「十二の大願(じゅうにのたいがん)」です。これは、薬師如来がまだ菩薩として修行していた時に、悟りを開いた後に必ず実現すると誓った十二の願いのことです。

この十二の大願は、人々の具体的な苦しみを取り除くことに焦点を当てた、極めて実践的な内容となっています。他の仏様の誓願と比べて、現世利益を重視した内容であることが大きな特徴です。

願番号願の内容
第一願自身の身体から光明を放ち、一切の衆生を照らして仏の相好を得させる
第二願自身の身体を瑠璃のように透明にして、暗闇の中で人々を導く
第三願無量の智慧と方便により、人々に必要な物を不足なく与える
第四願邪道に入った者を正しい道に導き、菩提の道を歩ませる
第五願戒律を守れない者も、名前を聞けば清浄な行いができるようになる
第六願身体に障害のある者、病気の者を健康な身体にする
第七願貧しく病気で苦しむ者の病を除き、安楽を得させる
第八願女性で女性の身を厭う者を男性に転じさせる(当時の価値観による)
第九願邪見に陥った者を正しい見解に戻し、菩薩の道を歩ませる
第十願牢獄に繋がれ苦しむ者を解放し、苦難から救う
第十一願飢えと渇きに苦しむ者に食べ物と飲み物を与え、最上の法を味わわせる
第十二願貧しく衣服がない者に美しい衣服を与え、寒さや虫から守る

この十二の大願の中で特に重要とされるのが第六願と第七願です。第六願では身体の障害や病気を治すことを誓い、第七願では貧困と病苦の両方からの救済を約束しています。これらの願いは、医療や福祉が十分でなかった時代において、人々に大きな希望を与えるものでした。

また、第十願の牢獄からの解放や、第十一願の飢餓からの救済など、社会的な苦しみからの解放も含まれています。薬師如来の慈悲は、個人の病気だけでなく、社会全体の苦しみにも向けられていることがわかります。

これらの大願を信じて薬師如来に祈ることで、現世での様々な苦しみから救われると考えられており、この信仰は現代まで連綿と受け継がれています。

薬師如来の歴史

インドにおける薬師信仰の起源

薬師如来の信仰は、紀元1世紀から2世紀頃の古代インドで始まったと考えられています。この時期は大乗仏教が興隆した時代で、様々な仏や菩薩への信仰が生まれました。

薬師如来の根本経典は『薬師如来本願経』で、サンスクリット語では「バイシャジヤグル」と呼ばれていました。これは「医療の師」を意味する言葉です。当時のインドでは疫病や飢饉が頻繁に発生しており、人々は病気の苦しみから救われることを強く願っていました。

大乗仏教の思想として、現実世界における救済を重視する考え方が広まる中で、病気平癒という具体的な利益をもたらす薬師如来への信仰が民衆の間で広がっていったのです。他の如来が来世での救済を説くことが多い中、薬師如来は現世利益を強調する点で特徴的でした。

中国への伝来と発展

薬師信仰が中国に伝わったのは、南北朝時代の5世紀頃とされています。この時期、シルクロードを通じて多くの仏教経典が中国へ伝えられました。

『薬師如来本願経』の漢訳は複数存在しますが、最も重要なものは次の通りです。

訳者時代経典名特徴
帛尸梨蜜多羅東晋時代(317年)仏説灌頂抜除過罪生死得度経最古の漢訳
玄奘三蔵唐時代(650年)薬師瑠璃光如来本願功徳経最も詳細で正確な訳
義浄唐時代(707年)薬師瑠璃光七仏本願功徳経七仏薬師を説く

特に玄奘三蔵による翻訳は、薬師如来の十二の大願を明確に説いたことで、その後の薬師信仰の基礎となりました。唐代には国家規模での薬師信仰が盛んになり、多くの薬師寺院が建立されました。

中国では皇帝や貴族が病気平癒や延命長寿を願って薬師如来を信仰し、また民衆の間でも病気治癒の祈願対象として広く崇敬されるようになりました。

日本への伝来時期

日本への薬師信仰の伝来は、飛鳥時代の6世紀後半から7世紀初頭にかけて、仏教の公伝とともに始まったと考えられています。

『日本書紀』によれば、用明天皇が病気の際に薬師如来像の造立を発願したという記録があります。この時期は仏教が日本に根付き始めた重要な時代でした。推古天皇の時代には、聖徳太子が仏教を積極的に保護し、多くの寺院建立が行われました。

推古天皇15年(607年)には、聖徳太子が父・用明天皇の病気平癒を祈願して法隆寺を創建し、薬師如来像を本尊として安置したとされています。この法隆寺金堂の薬師如来坐像は現存する日本最古級の薬師如来像として知られています。

この時期の薬師信仰は、主に皇族や貴族階級の間で広まり、国家鎮護や天皇の健康祈願という性格が強いものでした。

奈良時代から平安時代の薬師信仰

奈良時代に入ると、薬師信仰は国家仏教として大きく発展しました。天武天皇は皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、680年に藤原京で着工、平城京遷都後の718年に現在の奈良に移転されました

奈良時代の薬師信仰の特徴を整理すると次のようになります。

特徴内容
国家的造営天皇の発願により官寺として薬師寺が建立され、国家の保護を受けた
疫病対策天然痘などの疫病流行時に薬師如来への祈願が行われた
芸術的発展薬師寺金堂薬師三尊像など優れた仏像が制作された
経典の流布玄奘訳の薬師経が広く読誦されるようになった

聖武天皇の時代には、光明皇后が貧しい人々への施薬を行う施薬院を設置し、薬師如来の慈悲の精神を実践しました。747年には新薬師寺が創建され、聖武天皇の眼病平癒を祈願したとされています。

平安時代になると、薬師信仰はさらに民衆へと広がっていきました。平安初期には最澄や空海といった高僧によって天台宗や真言宗が開かれ、密教的な薬師信仰が展開されました。比叡山延暦寺や高野山金剛峯寺でも薬師如来は重要な信仰対象となりました。

また平安中期以降は、貴族社会において現世利益を求める信仰が盛んになり、薬師如来への帰依が一層深まりました。藤原道長をはじめとする貴族たちは、病気治癒や長寿を願って薬師堂を建立し、薬師如来像を造立しました。

この時代には十二神将を伴う薬師如来の図像が確立し、日光菩薩・月光菩薩を脇侍とする薬師三尊形式も定着していきました。民衆の間でも薬師詣でが行われるようになり、身分を問わず広く信仰される仏様として薬師如来の地位が確立されたのです。

薬師如来の功徳

薬師如来が持つ功徳は、他の如来とは異なる大きな特徴があります。それは現世での具体的な利益を与えてくださるという点です。阿弥陀如来が来世での救済を約束するのに対して、薬師如来は今を生きる私たちの苦しみに直接寄り添ってくださる存在なのです。

薬師如来の功徳は、十二の大願として体系化されています。この十二の願いの中には、病気の治癒、飢えや貧困からの解放、心身の健康など、私たちが日々直面する現実的な悩みへの救済が含まれています。

病気平癒の功徳

薬師如来の最も知られた功徳が病気平癒です。薬師如来という名前の「薬師」は、まさに病を癒やす医師としての性格を表しているのです。

病気平癒の功徳は、十二の大願の中でも特に重要な位置を占めています。第七の大願では「病苦から解放され、心身ともに健康になる」ことが説かれており、肉体的な病だけでなく、心の病も含めた全ての苦しみからの解放を願っておられます。

薬師如来が持つ薬壺には、あらゆる病を治す霊薬が入っているとされています。この薬は、単に症状を和らげるだけでなく、病の根本原因となる煩悩や業までも浄化する力を持つと信じられてきました。

病気の種類薬師如来の功徳
肉体の病身体的な痛みや症状の軽減、回復の促進
心の病不安や恐れの解消、精神の安定
慢性的な病長期にわたる苦しみの軽減、忍耐力の授与
業病過去の悪業による病の浄化

古来より、病に苦しむ人々は薬師如来に祈願し、多くの霊験譚が伝えられてきました。特に平安時代には、貴族から庶民まで幅広く薬師信仰が広まり、病気平癒を願う参拝者が絶えることはありませんでした。

延命長寿の功徳

薬師如来のもう一つの重要な功徳が延命長寿です。これは単に寿命を延ばすだけでなく、健康で充実した人生を全うできるよう導いてくださるという深い意味を持っています。

十二の大願の中では、第二の願で「身体が光明に満ち、諸々の功徳を備える」ことが説かれています。これは生命力に満ちた状態で長く生きることを意味しており、ただ長生きするのではなく、心身ともに健やかな状態を保ちながら天寿を全うすることを願っておられるのです。

延命長寿の功徳は、歴代の天皇や貴族たちから特に重視されました。奈良時代の聖武天皇は、自らの病気平癒と長寿を願って薬師寺を建立したとされています。また、平安時代には病気の天皇や皇族のために、薬師如来に延命の祈祷を行うことが慣例となっていました。

この功徳には、予期せぬ事故や災難から守られ、寿命を全うできるという意味も含まれています。薬師如来の加護により、本来の寿命を妨げる様々な障害から保護されると信じられてきたのです。

災難除去の功徳

薬師如来は、私たちを様々な災難から守ってくださる功徳も持っています。この災難除去の功徳は、物理的な危険だけでなく、人生における様々な困難や障害からの守護を意味しています。

十二の大願の中では、第九の願で「邪見を離れて正しい教えに導く」こと、第十の願で「牢獄の苦しみから解放する」ことが説かれています。これらは、人生における精神的な迷いや社会的な困難からの救済を表しています。

災難の種類具体的な功徳
自然災害火災、水害、地震などからの守護
事故・怪我不慮の事故や危険からの保護
盗難・詐欺財産や権利を守る加護
人間関係のトラブル争いや誤解の解消、和解の促進
精神的な迷い正しい判断力と智慧の授与

薬師如来の眷属である十二神将は、この災難除去の功徳を具体的に実現する役割を担っています。十二神将は昼夜を問わず、薬師如来を信仰する人々を守護し、あらゆる災難から守ってくださると伝えられています。

また、飢饉や貧困からの救済も重要な功徳の一つです。第十一の願では「飢えや渇きに苦しむ者に飲食を与える」ことが説かれており、生活の困窮に対する救済も約束されています。これは経済的な困難だけでなく、心の飢えや精神的な渇きをも満たしてくださることを意味しています。

現世利益を重視する特徴

薬師如来の功徳において最も特筆すべき点は、来世ではなく現世での利益を重視するという特徴です。これは仏教の中でも非常にユニークな性格であり、薬師信仰が広く庶民に受け入れられた大きな理由となっています。

多くの仏様が来世での成仏や極楽往生を説くのに対し、薬師如来は今この瞬間に苦しんでいる人々を救うことを第一とされます。病気、貧困、災難など、目の前にある具体的な苦しみに対して、直接的な救済の手を差し伸べてくださるのです。

この現世利益の思想は、十二の大願すべてに貫かれています。身体の美しさを得ること、衣食住が満たされること、心身の安楽を得ることなど、私たちが日常生活で願う具体的な幸せが、すべて薬師如来の功徳として説かれているのです。

現世利益を重視する特徴は、薬師如来が「医王」と呼ばれることにも表れています。医王とは医師の王、つまり最高の医師という意味です。病める者を見捨てず、今すぐに治療を施す医師のように、薬師如来は現在の苦しみに即座に対応してくださる存在なのです。

ただし、この現世利益は単なる物質的な欲望の充足を意味するのではありません。薬師如来の功徳には、必ず精神的な成長や悟りへの道が含まれています。病気が治る、長生きする、災難を免れるという現世の利益を通じて、人々を仏道へと導き、最終的には心の平安と真の幸福を得られるよう配慮されているのです。

また、薬師如来の現世利益は、信仰する本人だけでなく、家族や周囲の人々にも及ぶとされています。一人が薬師如来を信仰することで、その功徳は波紋のように広がり、多くの人々を幸せにすると考えられてきました。これも現世利益を重視する薬師如来ならではの特徴といえるでしょう。

薬師如来の姿と持物

薬師如来は他の如来とは異なる独特の姿で表現されています。今回は薬師如来の姿と持物についてお話しします。

薬壺を持つ姿の意味

薬師如来の最大の特徴は、左手に薬壺(やっこ)を持つ姿です。この薬壺は、あらゆる病を癒す霊薬が入った容器とされており、衆生の病苦を取り除く薬師如来の本願を象徴しています。

薬壺の形状は時代や地域によって様々ですが、一般的には小さな壺や瓶の形をしており、掌の上に載せて持つ姿で表現されます。この薬壺は単なる医薬品の容器ではなく、人々の身体的な病だけでなく、心の病や煩悩という精神的な病をも癒す力を象徴しているのです。

日本の仏像では、薬壺を明確に持つ像もあれば、手の形だけで薬壺を省略した像も存在します。特に古い時代の仏像では、薬壺が後世に失われてしまった例も多く見られます。

印相の種類と意味

薬師如来の印相(手の形)には、いくつかの種類があります。それぞれに深い意味が込められています。

印相の名称手の形意味
与願印(よがんいん)右手を下げて掌を前に向ける衆生の願いを叶える意思を示す
施無畏印(せむいいん)右手を上げて掌を前に向ける恐れを取り除き安心を与える
定印(じょういん)両手を重ねて組む瞑想と悟りの境地を表す
転法輪印(てんぽうりんいん)両手で輪を作る形仏の教えを説くことを示す

最も一般的な組み合わせは、右手を施無畏印または与願印とし、左手に薬壺を持つ形です。右手で人々の恐れを取り除き願いを叶え、左手の薬壺で病苦を癒すという、薬師如来の慈悲を完全に表現した姿といえます。

東寺の薬師如来像のように、両手を定印に組んで膝の上で薬壺を支える姿も見られます。この場合は、深い瞑想の中で衆生救済の願いを立てる姿を表現しています。

衣装と装飾品

薬師如来の衣装は、基本的には他の如来と同様に質素な姿で表現されます。これは釈迦如来と同じく、悟りを開いた仏陀としての質素で飾らない姿を示しています。

具体的には、通肩(つうけん)という両肩を覆う着方、または偏袒右肩(へんだんうけん)という右肩を出す着方で法衣を纏います。これらは古代インドの僧侶の正式な着衣法に基づいています。

装飾品については、如来の姿は基本的に装飾を排した簡素なものですが、一部の密教系の薬師如来像では、冠や瓔珞(ようらく)といった装飾品を身につけた姿で表現されることもあります。これは、薬師如来の持つ権威と威徳を視覚的に表現したものです。

髪型は螺髪(らほつ)と呼ばれる、右巻きの小さな巻き毛が頭部全体を覆う形が一般的です。頭頂部には肉髻(にっけい)という盛り上がりがあり、これは智慧の充満を象徴しています。

また、額には白毫(びゃくごう)という白い巻き毛があり、ここから光明を放って衆生を照らすとされています。この白毫は、仏の三十二相八十種好という特徴の一つです。

台座については、蓮華座に座る姿が基本です。蓮華は泥の中から美しい花を咲かせることから、煩悩に汚れた世界の中でも清らかな悟りを保つという仏教の理想を表現しています。薬師如来の場合も、病苦に満ちた娑婆世界において衆生を救う姿を、この蓮華座が象徴しているのです。

日光菩薩と月光菩薩

今回は、薬師如来の両脇に控える日光菩薩と月光菩薩の話です。この二尊の菩薩は、薬師如来を支える重要な存在として、多くの寺院で薬師如来とともにお祀りされています。

脇侍としての役割

日光菩薩と月光菩薩は、薬師如来の脇侍として配置されます。脇侍とは、中心となる仏様の両脇に立ち、その仏様を補佐する菩薩のことを指します。

日光菩薩は薬師如来の向かって右側に、月光菩薩は左側に安置されることが一般的です。この配置は太陽と月が交互に世界を照らすように、昼夜を問わず衆生を救済するという意味が込められています。

菩薩名配置位置象徴主な功徳
日光菩薩薬師如来の右脇太陽の光智慧の光で煩悩を照らす
月光菩薩薬師如来の左脇月の光慈悲の光で心を癒す

日光菩薩は、太陽の光のように明るく力強い智慧の光で、人々の煩悩や迷いを照らし出します。一方、月光菩薩は、月の光のように優しく柔らかな慈悲の光で、疲れた心を癒し、安らぎを与えてくださいます。

この二尊の菩薩は、薬師如来の慈悲と智慧を具現化した存在として、昼夜を問わず、あらゆる時間帯において衆生を救済する役割を担っています。太陽が昇る日中は日光菩薩が、月が輝く夜間は月光菩薩が、それぞれ主となって人々を見守り、導いてくださるのです。

また、両菩薩は薬師如来の十二の大願を実現するために働く存在でもあります。特に病気平癒や身体の苦しみを取り除く際には、日光菩薩と月光菩薩が薬師如来の力を人々に届ける媒介となっているとされています。

薬師三尊の意味

薬師如来を中心に、日光菩薩と月光菩薩を配した形式を薬師三尊と呼びます。この三尊形式は、仏教美術や信仰において重要な意味を持っています。

薬師三尊の配置には、完全な救済を象徴する深い意味が込められています。中央の薬師如来が根本となる救済の力を持ち、左右の二菩薩がその力を時間と空間のあらゆる方向へと広げていくという構造です。

日光と月光という対照的な二つの光は、陰と陽、動と静、温と涼といった相反する要素を表しています。この二つの要素が調和することで、バランスの取れた完全な癒しが実現されるという思想が、薬師三尊には表現されているのです。

奈良の薬師寺や東京国立博物館所蔵の薬師三尊像など、日本には優れた薬師三尊の作例が数多く残されています。これらの像を拝見すると、中央の薬師如来の安定感と、両脇の菩薩の動きのある姿勢が見事に調和し、三尊全体で一つの世界を作り上げていることがわかります。

薬師三尊の信仰は、単に病気を治すだけでなく、心身ともに健康で調和の取れた状態を目指すという、総合的な健康観を示しています。日光菩薩の活動的なエネルギーと月光菩薩の静かな癒しの力、そして薬師如来の根本的な救済力が一体となることで、人間の抱えるあらゆる苦しみに対応できるという考え方です。

参拝の際には、中央の薬師如来だけでなく、両脇の日光菩薩と月光菩薩にもしっかりと手を合わせることで、より完全な形での功徳をいただくことができるとされています。三尊それぞれに特有の慈悲と智慧があり、その全てを受け取ることが、真の意味での薬師信仰といえるでしょう。

十二神将について

薬師如来を信仰する上で欠かすことのできない存在が、十二神将です。薬師如来像の周りに配置されることも多く、薬師堂で出会う機会も多いでしょう。今回は、この十二神将について詳しく見ていきます。

十二神将の役割

十二神将は、薬師如来を守護する十二体の武神として知られています。薬師経の中で、薬師如来の十二の大願を聞いた十二神将が、それぞれ七千の眷属を率いて、薬師如来を信仰する人々を守護することを誓ったとされています。

十二神将には、それぞれ重要な役割があります。まず、昼夜十二時を守護するという時間的な役割です。一日を十二の時間帯に分け、それぞれの時間を担当する神将がいます。これは、一日中絶え間なく信者を守護するという意味を持っています。

また、十二方位を守護するという空間的な役割も担っています。東西南北の四方と、その間の四隅、そして上下を加えた十二方位をそれぞれが守り、全方位から信者を守護します。

さらに、十二神将は十二支とも対応しています。子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二支にそれぞれ配当され、干支による時間や方位の概念とも結びついています。このように、時間・空間・暦のすべてにおいて信者を守護するという包括的な役割を持っているのです。

十二神将は武装した勇ましい姿で表現され、甲冑をまとい、武器を持つ姿が一般的です。これは外敵や災厄から信者を守るという具体的な守護の意味を視覚的に表現しています。

各神将の特徴

十二神将にはそれぞれ名前があり、独自の特徴を持っています。以下の表で、各神将の特徴を整理してみましょう。

神将名対応十二支対応時刻主な特徴
宮毘羅大将(くびら)午後11時~午前1時十二神将の筆頭とされることが多い
伐折羅大将(ばさら)午前1時~午前3時金剛杵を持つ姿で表現される
迷企羅大将(めきら)午前3時~午前5時独鈷を持つ姿が多い
安底羅大将(あんちら)午前5時~午前7時刀を持つ勇ましい姿
頞儞羅大将(あにら)午前7時~午前9時三叉戟を持つことが多い
珊底羅大将(さんちら)午前9時~午前11時螺貝を持つ姿で表現される
因達羅大将(いんだら)午前11時~午後1時棒や杵を持つ姿が一般的
波夷羅大将(はいら)午後1時~午後3時弓矢を持つ姿で表現される
摩虎羅大将(まこら)午後3時~午後5時斧を持つ力強い姿
真達羅大将(しんだら)午後5時~午後7時剣を持つ武将の姿
招杜羅大将(しょうとら)午後7時~午後9時宝棒を持つ姿で表現される
毘羯羅大将(びから)午後9時~午後11時三叉戟や宝剣を持つ姿

各神将の姿形や持物は、仏像が作られた時代や地域、流派によって多少の違いがあります。しかし、共通しているのは、いずれも武装した勇壮な姿で表現され、守護神としての力強さを体現しているという点です。

十二神将の像は、単独で祀られることは少なく、通常は薬師如来像を中心として、その周囲に配置されます。有名な例としては、奈良の新薬師寺の十二神将像があります。こちらは国宝に指定されており、塑像として作られた十二神将の中でも最も優れた作例として知られています。各神将が異なる表情や動きを見せ、まるで生きているかのような躍動感があります。

また、京都の東寺の十二神将像も有名です。こちらは木造で、鎌倉時代の力強い作風を示しています。それぞれの神将が個性的な姿勢をとり、武器を構える様子は見る者を圧倒します。

十二神将は、薬師如来の守護神であると同時に、薬師如来を信仰する私たち一人一人を守ってくださる存在でもあります。寺院を訪れた際には、薬師如来だけでなく、十二神将にもぜひ目を向けてみてください。それぞれの神将の勇ましい姿から、守護の力強さを感じ取ることができるでしょう。

薬師如来を祀る有名寺院

日本各地には薬師如来を本尊として祀る寺院が数多く存在します。それぞれの寺院には独自の歴史があり、国宝や重要文化財に指定された貴重な薬師如来像が安置されています。ここでは、特に歴史的価値が高く、多くの参拝者が訪れる代表的な寺院をご紹介します。

薬師寺(奈良県)

薬師寺は、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して680年に発願された寺院です。薬師如来の名を冠する日本を代表する寺院として、古くから多くの信仰を集めてきました。

本尊である薬師三尊像は、飛鳥時代から奈良時代初期にかけて造立された金銅仏で、国宝に指定されています。中尊の薬師如来坐像は台座を含めて約2.5メートルの高さがあり、日光菩薩・月光菩薩とともに金堂に安置されています。この三尊像は、金銅仏特有の美しい造形と優雅な表情で知られ、白鳳文化を代表する傑作とされています。

薬師寺は平城京遷都に伴い、718年に現在の西ノ京の地に移転しました。創建当初の伽藍の多くは失われましたが、東塔は奈良時代の建築として唯一現存し、国宝に指定されています。近年、金堂や西塔などが復興され、往時の壮麗な姿を取り戻しつつあります。

法隆寺(奈良県)

法隆寺は聖徳太子ゆかりの寺院として知られ、世界最古の木造建築群として世界遺産に登録されています。金堂には薬師如来坐像が安置されており、この像は607年に聖徳太子が父である用明天皇の病気平癒を祈願して造立されたと伝えられています。

この薬師如来像は銅造で、光背には銘文が刻まれており、造立の経緯を知ることができる貴重な史料となっています。飛鳥時代の様式を色濃く残す像で、やや硬い表情ながらも荘厳な雰囲気を湛えています。

また、大宝蔵院には多くの薬師如来像が収蔵されており、それぞれ異なる時代の特徴を示す貴重な文化財として保存されています。法隆寺の薬師信仰は、日本の仏教史における薬師信仰の原点の一つと位置づけられています。

新薬師寺(奈良県)

新薬師寺は、747年に光明皇后が聖武天皇の病気平癒を祈願して創建したと伝えられる寺院です。創建当時は広大な伽藍を誇りましたが、現在は本堂のみが天平時代の建築として残っています。

本堂には本尊の薬師如来坐像と、十二神将立像が円形に配置される独特の形式で安置されています。この十二神将像は国宝に指定されており、奈良時代の塑像彫刻の最高傑作として高く評価されています。それぞれの神将が異なる表情と姿勢を示し、躍動感あふれる造形が特徴です。

本尊の薬師如来像は後世の補修を受けていますが、十二神将に守られた静かな姿で参拝者を迎えています。新薬師寺の空間全体が、薬師如来の功徳と十二神将の守護力を感じさせる神聖な雰囲気に満ちています。

東寺(京都府)

東寺は、平安京の正門である羅城門の東に位置する寺院として、796年に創建されました。823年に嵯峨天皇から空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として発展しました。

講堂には立体曼荼羅と呼ばれる21体の仏像が安置されており、その中心に薬師如来を含む五智如来が配されています。密教の世界観を立体的に表現した配置は、他に類を見ない貴重なものです。

また、金堂には本尊として薬師如来坐像とその脇侍である日光菩薩・月光菩薩が安置されています。この薬師三尊像は、桃山時代に再興されたものですが、堂々とした姿で参拝者を出迎えます。東寺の五重塔は京都のシンボルとして親しまれ、多くの人々が訪れる場所となっています。

多くの寺院では、毎月8日を薬師如来の縁日として法要が営まれており、病気平癒や健康祈願に訪れる参拝者が絶えません。

また、薬師如来の功徳にちなんだ年中行事や特別な法要も各寺院で行われており、現代においても薬師信仰が人々の生活に根付いていることがわかります。

薬師如来の参拝方法

薬師如来への参拝は、基本的な仏教寺院の参拝作法に従いながら、病気平癒や健康を願う特有の方法があります。ここでは薬師如来を参拝する際の具体的な作法や心構えについて詳しく説明します。

参拝の作法

薬師如来への参拝は、一般的な仏様への参拝作法を基本としますが、いくつかの特徴的な点があります。まず境内に入る際は、山門で一礼してから入ります。

本堂の前に立ったら、まず軽く一礼します。その後、お賽銭を静かに賽銭箱に入れます。薬師如来の場合、健康や病気平癒を願う方が多いため、心の中で具体的な願いを込めながらお参りすることが大切です。

合掌の際は、両手を胸の前で合わせ、指先を少し前に傾けるようにします。この時、薬師如来の功徳に感謝の気持ちを持ちながら、自分だけでなく多くの人々の健康を願う心持ちが重要です。合掌したまま、心の中で願い事を伝えたり、真言を唱えたりします。

参拝の順序内容ポイント
山門での一礼境内に入る前に一礼聖域に入る心構えを整える
本堂前で一礼軽く頭を下げる薬師如来への敬意を表す
お賽銭静かに賽銭箱へ投げ入れず、そっと入れる
合掌礼拝胸の前で両手を合わせる真言を唱えるか黙祷する
退出時の一礼本堂と山門で一礼感謝の気持ちを込める

お参りが終わったら、再び一礼してから退きます。本堂を後にする際も、一度振り返って軽く一礼すると丁寧です。山門を出る時にも、境内に向かって一礼することで、参拝が完結します。

お供え物

薬師如来へのお供え物には、特に適したものがあります。基本的なお供え物は、花、線香、灯明、水、飲食物の五供が基本とされています。

花については、白い花や清浄な印象の花が好まれます。菊、蓮、百合などが一般的です。薬師如来は病気平癒の仏様ですから、生命力あふれる新鮮な花をお供えすることが大切です。造花よりも生花が望ましいとされています。

線香は、香りが空間を清め、心を落ち着かせる効果があります。薬師如来の場合、白檀や沈香などの上品な香りの線香が適しています。本数は一本または三本が一般的で、火をつけたら口で吹き消さず、手であおいで消すのが作法です。

お供え物として特徴的なのが薬です。現代では実際の薬をお供えすることは少なくなりましたが、かつては薬草や丸薬などをお供えする習慣がありました。代わりに、健康を願う意味を込めて、果物や清浄な水をお供えすることが多くなっています。

お供え物の種類具体例意味・効果
菊、蓮、百合、白い花清浄さと生命力を表す
線香白檀、沈香場を清め、心を整える
灯明ろうそく智慧の光を象徴する
浄水清らかな水清浄さと命を象徴する
果物りんご、みかん、季節の果物自然の恵み、健康を願う
餅・菓子白い餅、上品な和菓子感謝の気持ちを表す

お供え物をする際は、自分の都合だけでなく、薬師如来の功徳にあずかれることへの感謝の気持ちを込めることが何より大切です。高価なものである必要はなく、清浄で心を込めたお供え物が最も尊いとされています。

真言とお経

薬師如来を参拝する際に唱える真言やお経には、特別な功徳があるとされています。真言は仏様の本質を音声で表したもので、唱えることで仏様と心を通わせることができます。

薬師如来の真言は「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」です。これは薬師如来の本質を表す神聖な言葉で、病気平癒や健康を願う時に唱えます。真言を唱える際は、声に出しても心の中で唱えても構いませんが、心を込めて丁寧に唱えることが大切です。

より正式な参拝では、薬師如来本願功徳経や薬師瑠璃光如来本願功徳経を読誦することがあります。これらのお経には、薬師如来の十二の大願や功徳が詳しく説かれており、読むことで薬師如来の慈悲を深く理解することができます。

種類内容唱え方
薬師如来真言オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ三回または七回唱える
薬師経薬師如来本願功徳経全文または一部を読誦

真言を唱える回数については、三回、七回、二十一回など、奇数が良いとされています。特に決まりはありませんが、回数よりも一回一回を心を込めて唱えることの方が重要です。

参拝の際には、まず合掌して一礼し、それから真言を唱え始めます。唱え終わったら再び合掌して一礼します。この時、自分や家族の健康だけでなく、すべての人々の病気が癒されることを願う広い心を持つことが、薬師如来の教えに適った参拝の仕方とされています。

日常的な参拝では、真言だけでも十分ですが、特別な願いがある時や、薬師如来の縁日である毎月八日には、より丁寧にお経を読誦することで、功徳がより深まるとされています。お経の全文を読むのが難しい場合は、薬師如来の十二の大願の部分だけでも読むことをお勧めします。

まとめ

薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主として、十二の大願を立てられた仏様です。インドで起源を持ち、中国を経て日本に伝来し、奈良時代から平安時代にかけて広く信仰されるようになりました。

その最大の特徴は、病気平癒、延命長寿、災難除去といった現世利益を重視する点にあります。左手に持つ薬壺は、あらゆる病を癒す象徴であり、多くの人々の心の支えとなってきました。

日光菩薩と月光菩薩を脇侍とする薬師三尊、そして十二神将を従えた姿で祀られることが多く、薬師寺、法隆寺、新薬師寺、東寺など、日本各地の寺院で大切に守られています。

参拝の際には真言やお経を唱え、心を込めてお参りすることで、薬師如来の功徳をいただくことができます。病気平癒や健康長寿を願う方にとって、薬師如来は今も昔も変わらず、深い信仰を集める仏様です。

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